前に日記書いたの一か月くらい前って見て、月日の速さを感じました。他人事みたいな言い方ですね
昨日の夜に観てきた映画がどうしても受け付けず、ずうっとイライラしており、感想をバーッと書いてスッキリしたかったですがネガティブな感想をそのままツイッターなんかに書くのもなかなかできない世の中であり、そんなこんなでここに書こうと思ったのでした
深夜の馬鹿力でおススメされてたのがきっかけで「さよなら ほやマン」という映画を観ました。もうこのタイトルを打つのもちょっとイヤなくらい相当に自分には合いませんでした。ストーリーの紹介を書こうかと思いましたが、別に誰に読ませるつもりでもないので書きたいコトだけ書きます
冒頭。VHSの再生を思わせるノイズとカラーバーが大写しになり、大丈夫かこの映画…… という気持ちに早速なる
この時点で「つまらなかったとしても受け入れよう」と軽く覚悟をするけれど、でもまぁラジオで絶賛されてたし、上映時間を調べるために見たサイトでもなんか評価高かったし、大丈夫だろうと見守る姿勢で臨む。もうなんかその判断も込みでぜんぶ思い出すのイヤになってます
主人公、借金まみれの兄弟。愚かだけど純粋、みたいな造形。でもそんな描き方をこの時代にこの題材で…… お前これ…… マジで? 途中でイメージが変わる何かがあるのだろうと思ってみていくけどマジでなんもない。貧乏でしょ! 愚かでしょ! 純粋でしょ! 不幸でしょ! 善人でしょ! マジでそれでずっと最後まで行った。いま振り返ってみても嘘だろって思う
弟に関しては島には学校がない→津波のトラウマで船に乗れない→学校に通うこともできない、の流れでああなったのかもしれないけど、でもそうした教育へのハードルとか未整備な環境とかそういうのにはぜんぜん触れず、極めて狭い範囲でしか彼を映さないからどういう目線で彼を見たらいいのか最後まで掴めなかった。彼はあの島で周囲からどう見られていたのか、それを彼はどうとらえていたのか、とかが全くないからただ奇行をほったらかされてるだけの存在になっていた
理解されて見守られているのか。虐げられているのか。存在すら認識されていないのか。全くわからない。ひたすらに気持ちが悪い。彼の存在が、ではなく、映画の中の、フィクションの存在としてどう見たらいいのか。どう見せたかったのか。最後までぼやかしたままなのが本当に気持ち悪かった。
「一人前になりたい」その言葉だけを与えられた欠陥品のロボット。最悪な言い方をするとそういう存在。物語の中での与えられた役割はなんとなくわかったけど、その都合のよさも違和感として付きまといました
そしてヒロイン。物語の軸である漫画家の女性。兄弟とは逆な性質。金持ち! 都会人! 擦れてる! 有名! 嫌なヤツ!
振り返ってみてもとにかくずっとストレス。最悪な印象をひっくり返してくれるカタルシスも用意されてなかったから蓄積されたままの鬱屈を抱えて帰ることになる。帰りに運転しながら「つまんなかった」って口に出してたけどその原因の多くはこいつのせい
親から虐待を受けていた、施設に入っていた、暴力事件を起こして猶予中、ツイート一つでアンチが騒ぐ、で!???
人づきあいができない、人を信じられない、暴言しか言えない、そんな人間だってのはわかったからその、好き勝手に振舞っているサマを、観ている側へのフォローもケアもなんもなくずっっっと見せ続けてくる理由がわからない。マジでしんどかったです
「作為的な説明シーンは抑えてリアルな人間ドラマで魅せていく」みたいな作りをやりたかったのでしょうけどそうした意図で作られたほとんどが自分にはマイナスにしか映らなかったです
説得力を与えるための設定や描写もあまりに雑で、やりたいことと実際に映し出されているものがあまりにちぐはぐで、それが裏目に出まくってめちゃくちゃに冷めました
「地図にダーツ投げて行き先決めた」って言って現金で一千万円持ってやってくる売れっ子漫画家なのに、実際に作中で使われている漫画の中身が背景もロクに書き込まれていない記号的なギャグマンガなの、アレさすがにどうにかできたでしょって思う
あと『漫画家』のディティールが適当すぎてマジで集中できなかった。汚い板張りの台にただ紙をのせてペン一本で描いてるんですけどアレ…… アナログ派だってならそれでいいけどだとしたら一心不乱にベタ塗りを手伝ってくれてる人間の背中を蹴るハズがない。生の原稿を目の前に置いたまま汁の多いホヤを手づかみで食べるはずがない。漫画制作のシーンが映るたびにガンガン心が離れていきました
主人公の兄弟が作った動画が漫画家先生のリツイートでバズり、そうとは気づかず村を挙げての祝賀会が行われ、そのあとで真相を知って憤る、みたいな流れもクソ冷めました
YouTubeに投稿したんならコメント欄は絶対見るだろ。ツイッターくらいやってるヤツ島にいるだろ。全部スルーして10万再生いったあとにネットニュースで気づくってなんだよ。無理があるだろ。
土地の権利者は自分たちじゃなかったって知らされる終盤のくだり、仲介業者をあんな露悪的に描く必要がどこにあったのかな。東北の離島の田舎者はこんなに見下されてますって突き付けてくる存在だったのかな。にしてもあんな営業いないよ。
もっとちゃんと作ってほしかった。土台を固めて舞台を組んで映画を作ってほしかった。他の人はどう見たか知らないけどマジで無理でした
・よかったところ
成長すると脳がなくなって一つのところで生き続ける、というホヤの性質が劇中で繰り返し描かれるのですが、それを理解してから「さよならほやマン」というタイトルを見ると意味が変わるという構造は割と好きです
津波の影響で海のものが食べれない、という主人公のトラウマ、現地を知る人間からしても説得力がとてもあって胸に訴えてくるものがありました。「水揚げされたタコの中から髪の毛が出てきた」というような話は震災のあとたくさん聞いたし、事実がどうあれ一度そう考えてしまったら食べられなくなるのは無理もないと思います
お隣さんのおばあさん、ハルコさんはとても良かったです。
「ずっと島から出たいと思っていた」「やりたいことをしてみたかった」「津波がきて、ようやく島から出られると思った」「でもできなかった」「あなたは受け止められる側じゃなく受け止める側に立つべき人間だ」
彼女の放つどの言葉も好きです。実際、北東北に限らず地方に暮らす人間には土地に縛られる呪いのような感覚というか、どうにもならない閉塞感を感じ続けている人も少なくないと思います。災害によってそれらから解放されたとして、素直に受け入れられるかどうかはまた別の問題だろうと思います
この作品、全く同じ筋書きでも彼女を中心に置いて作られていたら自分の評価はまるで違っていたと思います
だいたい書きたいことを書けました。めちゃくちゃ満足です。寝ます。今日もおつかれさまでした